版権とは、著作権の旧称の事です。
1875年に改正された出版条例で初めて使われ、1899年に著作権法が交付されるまで使用されました。
福沢諭吉が当時海賊版に悩まされていたため、1873年7月17日に当時の東京府に著作権保護の重要性を訴えた文章が初出です。
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版権 購入
当時は著作物の一部である図書等についての権利だけ
当時の権利は今と違い、著作物の一部である図書等についての権利だけであって、脚本・写真・映画・音楽は対象になりませんでした。
近代以前の日本には著作者に著作物に関する権利は殆どありませんでしたので、江戸時代以前では出版物に関する権利はその出版物の文字や絵が刻み込まれた版木の製作者または所有者だけでした。
当時は版木に文字や絵を刻んで作った版木を基にして木版印刷を行って出版していましたが、版木は一字一句でも間違いがあれば無価値となるため、多額の費用と時間がかかりました。
そのため、版木自体の財産的価値が認められるとともに、そこから生み出される出版物にも権利が発生すると考えられましたので、版木の製作及び印刷を実際に行う版元またはそれに資金を出した者、或いは彼らから版木を購入した者がその版木と出版物の権利を有すると考えられました。
1875年に出版条例が改正されて導入される
それに対し、版木に刻む文字や文章や絵を考案した著作者の権利は間接的に考慮されるのみに留まりました。
1875年に出版条例が改正されて導入されるようになり、出版物の主である権利者が版木を持つ版元ではなく著作者と規定された事により、同時に日本に輸入された金属活字の導入と並んで出版の世界に大混乱を発生させました。
版木から出版物への権利の派生が否定された上に木版印刷自体が衰退したため版木の財産的価値が無くなり、版木の価値は資本の元に成り立っていた版元の多くが経営難で破綻し、生き残った業者も新たな経営形態を持った印刷・出版業や書籍流通業に転換していくようになりました。
1887年には出版条例から「版権条例」が分離され、政府の出版社保護の姿勢がより鮮明となり、これを基にして1893年に「版権法」が公布されました。
内容は内務省に登録した上でその出版物に「版権所有」と表示する事を義務づける方法をとりました。
まとめ
1899年に著作権法が交付され、これにより著作権という用語が使われるようになり、その内容もそれまでの他の法律で保護されていた脚本・音楽・写真等が統合されて今日の著作権に近いものになりました。
現在ではこの用語は法律では用いられていませんが、著作権や商標権などの知的財産権全般を「版権」と呼称しています。
最終更新日 2025年6月9日